雫石町の美しい水で作る豆腐の原点
第7回 有限会社フクオカ食品(雫石とうふ工房)福岡加奈子さん
お味噌汁の邪魔にならない 豆腐を目指したい 加奈子さんは現在、1945年から続くフクオカ食品の代表取締役を務めている。以前は町の観光協会で働いており、父で3代目となるこの会社を継ぐことは全く考えていなか...
岩手で活躍するさまざまな“人”に焦点を当て、紹介する「いわてプライド」。 この土地に誇りを持って生きる人たちの、熱い想いを伝えます。
お酒の中でも特にビールが好きだという木村さん。大学卒業後は大手ビール会社の営業として勤務し、酒屋や酒問屋などに自社のビールを売り込む日々を送っていた。そんな彼が「自分もビールを作ってみたい」と考えるようになったのは、海外からの輸入ビールがきっかけだった。
「ベルギーのビールを飲んだ時、まるでワインのようにフルーティーな飲み口で本当に驚きました。その頃の日本のビールとは、全く違うものでした」
当時の日本ではビール製造免許を取得する際に、最低でも2,000キロリットルを製造しなければならないという決まりがあった。そのためビール業界には大手企業しか参入することができず、ヨーロッパなどでよく見られる小さな醸造所を開くことは難しい状況にあった。
そんな日本のビール業界に風穴が空いたのは、1994年に行われた酒税法改正だった。ビールの最低製造量が2,000キロリットルから60キロリットルへ一気に引き下げられ、小規模でもビール作りが可能になったのだ。これをきっかけに全国で地ビールづくりがスタートし、木村さんも自分が理想とするビールを作るべく動き始めた。
今はもう作られていないという、ドイツ製の仕込み窯
「あの頃の日本では、地ビールなんて誰も作ったことがありません。毎日のようにアクシデントが起こり、ビール作りは一筋縄ではいかないことを痛感しました」
ビールは麦汁にホップを加えて発酵させ、貯酒(熟成)を経て完成となる。この過程で重要なのは酵母菌の働きで、目に見えない微生物をコントロールするには、長きにわたる経験と磨き抜かれた職人の技が必要になる。例え同じ原料や配合、温度で作ったとしても、出来上がりは微妙に異なるという。ビール作りの奥深さと難しさを体感しつつ、ついに木村さんは2001年にベアレン醸造所を設立。その2年後に本格的なビールづくりを開始した。
ベアレン醸造所が作るビールは、ドイツの味をベースとしている。ビール作りに欠かせない仕込み窯も、100年以上前に作られたドイツ製のものだ。もちろん機械制御の機能はついていないため、ベテランの職人がつきっきりで作業をしながら仕上げていく。まるでビールと対話するかのように作り上げるその味は、職人の腕が如実に反映されるのだという。
「毎日が真剣勝負。ビールと真っ向から向き合うことで、ベアレンならではの味が生まれます」
「世界に伝えたい日本のブルワリー」では、見事グランプリを獲得
設立から今年で20年。今ではすっかり岩手のビールとして、地元の人たちから愛される存在になった。そんなベアレン醸造所では、ビールを通じて人や地域を“つなぐ”ことを意識しているという。そのきっかけは、東日本大震災にあった。
10年前の3月11日、沿岸の山田町ではベアレンのビールを楽しむ「ビール会」を予定していた。震災発生直後は多くの人の安否がわからない状況が続いたが、時間が経つごとに「あの時やれなかったビール会を、ぜひやってほしい」という声が、木村さんの元へ届き始めた。
「せめてビールを飲んで、一緒にいる人たちとの会話を楽しんでほしい」
その思いから山田町でビール会を開催し、当日は予想をはるかに越える多くの人が集まった。その長蛇の列を見て、人が生きるためには人とつながること、そして笑顔のもととなるものが必要だと実感したという。以来、ベアレン醸造所は人を思い、人をつなぐビールを作り続けてきた。
「岩手県には、自分なりのこだわりを持って物事に取り組んでいる人が多い印象があります。流行に左右されず、自分の好きなもの、やりたいことに集中する。私たちもそうやってビールと向き合い、岩手で暮らす人やほかの土地から訪れた人たちの、心の拠り所のような存在になれたらと思っています」
日本の地ビールの歴史は、まだ浅い。しかしこれから先、子どもや孫の代まで飲み継がれることで、より確かな土地の味が育まれていくのだろう。木村さんのビール作りは、まだ始まったばかりかもしれない。
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フリーライター 山口由(ゆう)
2011年、東日本大震災をきっかけに横浜から盛岡へUターン。現在はフリーライターとして、お店や人材の紹介、学校案内、会社案内、町の広報誌など幅広く活動中。取材を通して出会うさまざまな人の思いや歴史を知り、「岩手ってすごいなぁ」と実感する日々を送っている。趣味は散歩と読書、長距離ドライブなど。ホームページはコチラ。
カメラマン 佐藤 到
1969年宮城県白石市生まれ。進学で来県すると、岩手の環境や住みやすさが気に入って定住。 写真店勤務を経て、フリーカメラマンとして独立。 フィルム時代から経験を積み現在は人物・風景・スポーツ・スクールスナップ・ウェディング・料理・商品などなど何でも撮影します。
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