いわてプライド

岩手で活躍するさまざまな“人”に焦点を当て、紹介する「いわてプライド」。 この土地に誇りを持って生きる人たちの、熱い想いを伝えます。

この土地が育んだ奇跡のきのこ

第4回 農業生産法人きのこのSATO株式会社 佐藤博文さん

この土地が育んだ奇跡のきのこ

偶然が重なって始まった
菌床シイタケの栽培

 共立設計株式会社の代表を務める佐藤博文さんは、2008年にきのこのSATO株式会社を設立した。雇用の安定化を図り、設計とは異なる業種の新しい仕事を探していた矢先に出会ったのが、きのこの菌床栽培だった。

 その始まりは小さな偶然の重なりだったという。森林組合で働く後輩から、たまたま菌床シイタケの存在を教えてもらい、実際に栽培している様子を見たりメーカーの話しを聞いたりした。そうしているうちに、「菌床シイタケを販売したい」という人が現れたのだ。

 「それまでシイタケは原木のイメージがありましたが、実際に見た菌床シイタケは想像していたよりもずっと立派でした。売りたいという人がいるなら作ってみようか、という流れで菌床シイタケの生産を始めました」

 最初は40坪ほどのハウス2棟でスタート。生産を続けるうちに菌床ブロックを自社製造するようになり、ミネラルを含んだ潮風をたっぷり浴びて育ったシイタケは、肉厚で雑味がなく濃厚な風味に仕上がった。


東日本大震災の津波を間一髪で逃れた「奇跡の生しいたけ」

東日本大震災の津波を間一髪で逃れた「奇跡の生しいたけ」


栽培を始めた年に受賞した
東京ビジネス・サミット大賞

 きのこのSATO株式会社はシイタケだけでなく、キクラゲも高い評価を得ている。キクラゲ栽培に着手した2008年には、「東京ビジネス・サミット2008」の食・アグリビジネス部門に初出展。679社の中から見事、東京ビジネス・サミット大賞に輝いた。

 「キクラゲの栽培を始めたのも偶然でした。メーカーから試験用の種をもらい、ハウスとハウスの間に置いて水をかけていたら驚くほど立派に育ったんです。夏の暑さでシイタケの成長が思わしくなかったこともあり、そこから本格的に着手しました」

 キクラゲは栽培が難しいといわれていて、一時期は急増した生産者も現在はかなり減ってしまったという。
 「キクラゲは人と同じで、酸素を吸って二酸化炭素を出します。そのためハウスを締め切ってしまうと酸欠状態になり、病気にかかりやすくなる。きくらげの病気は伝染病なので、2日程度で一気に広まり全滅してしまうこともあります。それを避けるために、当社では新鮮な潮風を取り入れて元気いっぱいに育てています」


シイタケは冷凍することで、うま味も栄養価も大幅にアップする。解凍せず、そのまま調理してOK

シイタケは冷凍することで、うま味も栄養価も大幅にアップする。解凍せず、そのまま調理してOK


大震災から一夜明け
「生かされた」と感じた瞬間

 今でこそハウスや事務所、作業場などが整備されているが、9年前の東日本大震災では陸前高田市の中心部を始め、このあたり一帯は壊滅的な被害を受けた。

 震災前日に仕事で仙台へ行っていた博文さんは、翌日の早朝に事務所やハウスが見下ろせる高台までたどり着き、変わり果てた光景を目の当たりにした。ハウスはおろか、街そのものが無くなっている。しかし博文さんが感じたのは、絶望よりも前へ進む力だったという。

 「設計という仕事柄、街の再建に力を尽くすことができますし、きのこは食料になる。塩害を受けた農地を元の状態に戻すには時間も費用もかかりますが、ハウス栽培であれば比較的すぐに生産を始めることができます。これは自分がやらなければならないと強く思いました」

 高台にあった別のハウスのシイタケとキクラゲの培養棟は、かろうじて難を逃れた。博文さんは震災から2日後には、そのシイタケを避難所に配布して回ったという。支援物資が届かない切迫した状況の中、博文さんのシイタケは多くの人を喜ばせ、この状況を生き抜く支えになったことだろう。


収穫したシイタケは、一つずつゴミを払って選別していく

収穫したシイタケは、一つずつゴミを払って選別していく


魅力ある原石を磨いて生かし
若い人たちをサポートしたい

 あれから9年と半年。街の復興も含めて、なかなか思うようには進まないと博文さんは語る。特に今年は新型コロナウイルスの影響もあり、売上は通常の半分にまで激減した。しかし、ただ現状を嘆いているわけにはいかない。

 これまでは農地の肥料として使われるだけだった廃菌床(きのこを収穫した後の菌床ブロック)を、今後は燃料に変換し、ハウスの空調管理などに欠かせない熱源として用いることを計画している。将来的にはきのこを原材料とした加工工場の設置も考えており、形が良くないものなどを活用して売上の底上げを狙う。

 「一度に全てを進めることはできないので、少しずつやっていきます」

 そう語る博文さんは、岩手という場所を「宝物がうずもれた土地」と表現する。

 「魅力的な原石はたくさんあるのに、上手く商品化できていなかったり売り方がわからなかったりするケースがある。自分自身も含めてですが、何をどうすればいいかわからず試行錯誤を重ねている人は多いと思います」

 今後について尋ねると博文さんは、そんなうずもれている宝物を生かし、若い人でも独立したビジネスとしてやっていくためのサポートをしていきたいと教えてくれた。



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この記事を書いたひと

フリーライター 山口由(ゆう)

2011年、東日本大震災をきっかけに横浜から盛岡へUターン。現在はフリーライターとして、お店や人材の紹介、学校案内、会社案内、町の広報誌など幅広く活動中。取材を通して出会うさまざまな人の思いや歴史を知り、「岩手ってすごいなぁ」と実感する日々を送っている。趣味は散歩と読書、長距離ドライブなど。ホームページはコチラ。

https://tokkari-shouten.themedia.jp/

写真撮影

カメラマン 佐藤到(さとういたる)

カメラマン 佐藤 到

1969年宮城県白石市生まれ。進学で来県すると、岩手の環境や住みやすさが気に入って定住。 写真店勤務を経て、フリーカメラマンとして独立。 フィルム時代から経験を積み現在は人物・風景・スポーツ・スクールスナップ・ウェディング・料理・商品などなど何でも撮影します。

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